さらに過去のドラフトを振り返ってみよう—2005年—
とりあえず、この企画は2005年までで一度ストップします。もし仮にシーズン中止となりネタ不足に陥ったら、この企画を再開したいと思います。
【2005年ドラフト指名】
◯高1位 炭谷銀仁朗 捕手 平安高 右投右打
⚪︎1軍通算成績 06〜18年
1169試合 653安打 31本塁打 271打点 8盗塁 打率212
⚪︎獲得タイトル
・ゴールデングラブ賞2回(12,15)
・ベストナイン1回(15)
⚪︎ランク:A
この年のドラフトで唯一の成功例となったのは炭谷選手でした。長年西武ライオンズの正捕手+選手会長などで、チームを牽引してくれました。
細川選手のFA移籍後の11年から、7年連続で100試合出場して、西武ライオンズの正捕手として投手を牽引してくれました。炭谷選手は打撃はあんまりでしたが捕手として高い守備力で2度のゴールデングラブ賞を受賞、チームの精神的支柱としても欠かせない存在でした。特に菊池雄星投手の専属捕手として、伸び悩んでいた菊池雄星投手を最終的にはメジャー挑戦にまで長年リードし続けてくれました。過小評価されがちですが、捕手としての能力の高さは紛れもない事実です。
そんな炭谷選手ですが、森選手の成長により出場機会がなくなり、18年はほぼ菊池雄星投手専属以外に出番がなくなり、レギュラー獲得後最小となる47試合出場に留まってしまいました。打撃で圧倒的な数字を残す森選手が優先されるのはともかく、2番手捕手を競わせてもいないのに岡田選手を優先してしまう起用法には、炭谷選手自身不満を持つのは当然のことでしょう。これは現場の采配にも責任がありました。
そんなこんなで18年にFA移籍となりましたが、おそらく炭谷選手に不満を持つファンはそんなに多くないかと思います。私自身も炭谷選手のFA移籍には不満はほぼなく、直前の年の起用法が明らかに不平等すぎる、菊池雄星投手がメジャー挑戦して来年以降出番がなくなるのが明らか、そんでもって炭谷選手はこれまでに2回FA権を行使せずに残留してくれました。この年に同じFA移籍した大嘘つきの浅村選手とは違い、炭谷選手の発言やFA移籍には一定の理解や同時の余地が多々あり、私としても炭谷選手のFA移籍は選手の権利の元の移籍だと認識することにしました。
巨人に移籍してからもオープン戦では西武時代の登場曲が流れたり、交流戦ではブーイングでなくほぼ拍手で迎えられた炭谷選手ですが、是非現役引退ラストイヤーは西武ライオンズでお願いしたいです。松井稼頭央選手、松坂投手が現役引退を西武で飾ったのであれば、炭谷選手にも絶対に飾ってもらいたいです。炭谷選手には指導者としてもチームを牽引してもらいたいので、渡辺GMは炭谷選手だけは引退時は西武ライオンズへの手招きを用意してもらいたいです。
◯高3位 田沢由哉 投手 旭川大高 右投右打
⚪︎1軍通算成績 06〜10年
1軍出場なし
⚪︎ランク:E
田沢投手、、、いよいよ全く記憶にない選手の名前が出てきてしまいました。一応は10年からは野手転向したみたいですが、投手としては2軍で防御率6点台、野手としても打率1割台で何もかもがダメみたいでした。
◯高4位 田中靖洋 投手 加賀高 右投右打
⚪︎1軍通算成績 06〜15年
42試合 1勝3敗1S 54.2回 28奪三振 防御率3.62
⚪︎ランク:E
田中投手はここ最近の戦力外通告大失敗の象徴的存在ですね。今も残っていたら、おそらくは中継ぎの一角として活躍していた可能性があります。非常にもったいないことをしました。
かなり時間を費やしましたが、15年に18試合登板でプロ初勝利+初Sを記録、防御率1.35と来年以降に期待を抱かせる内容を見せてくれましたが、何故かこの年に戦力外通告を出してしまいました。一説によればこの年に結果を出した直後の怪我でフロントがキレて、トレードに出そうとしたが話がまとまらずに戦力外にしたという説を聞いたことがあります(真偽は定かではありませんが)。
しかし、この戦力外通告が大失敗だったのは、今のロッテでの活躍を見れば一目瞭然でしょう。ロッテに移籍後は徐々に登板数を増やして、昨年はキャリアハイの44試合登板、4勝を挙げて防御率2.72とビハインド要員の1人として、ロッテのブルペンを支えています。今からでも戻ってきてくれと言いたいところですが、本人が西武への復讐心で投げているのが対戦してて何となく感じるので笑、これ以上は望まないと思います。
なんで戦力外にしちゃったのでしょうかね。これは今でも謎に思う時があります。
◯大・社希 松永浩典 投手 三菱重工長崎 左投左打
⚪︎1軍通算成績 06〜14年
124試合 9勝8敗14H1S 167.1回 118奪三振 防御率3.39
⚪︎ランク:D
中継ぎとして1年だけフルで活躍しましたね。というか、それ以外の印象がほとんど残っていませんでした。
ドラフト指名時は左の先発として期待されていたみいですが、先発したのは最初の2年間のみで、コントロールがダメダメで先発はアウトになりました。しかし、中継ぎとしては12年に56試合登板、防御率3.54とそこそこの成績を残しましたが、その後左肩を痛めて、その後は1軍登板なしで戦力外となりました。希望枠指名でこの成績は少し寂しすぎますね。
◯大・社3位 吉見太一 捕手 サンワード貿易 右投右打
⚪︎1軍通算成績 06〜10年
6試合 打率000
⚪︎ランク:E
何となく守備力があったけどバッティングボロボロだったよな、、、という記憶が薄らと思い浮かんだ選手でした。
10年に6試合出場して、その年に戦力外となりました。しかし、現役引退後はブルペン捕手としてチームに残り、18年からはアカデミーコーチとしても働いているみたいです。
◯大・社4位 西川純司 投手 三重中京大 左投左打
⚪︎1軍通算成績 06〜08年
1軍出場なし
⚪︎ランク:E
もう完全に記憶にない投手が出てきてしまいました笑。3年間で1軍出場なし、3年目に怪我で成績が急激に悪化して、そのまま戦力外になってしまったようです。
◯大・社5位 山本歩 投手 関西学院大 右投右打
⚪︎1軍通算成績 06〜09年
5試合 6.1回 11奪三振 防御率2.84
⚪︎ランク:E
なんとなく名前は聞き覚えがあるなという程度ですかね。ここら辺になってくると、私の記憶もかなり危うくなってきます笑。
奪三振能力はかなり高かったようで、1軍出場わずか5試合ですが6.1回で11奪三振を記録、2軍でも奪三振数は高かったみたいですが、その分暴投や死球を当てることも多かったみたいです。08年に右肘の手術をしてからはほとんど投げれなくなり、そのまま戦力外になりました。
引退後は当初は球団職員として残ってくれましたが、本人がかなりの博学だったらしく、後に関西学院大学大学院理工学研究科に合格して、その後修士号を経て今は研究職に就いているみたいです。
総評:D
この年のドラフトは炭谷選手と辛うじて松永投手でしたが、ここまで来ると私の記憶もかなりあやふやになり、音沙汰なしで戦力外になった選手の記憶がほぼない状態になり始めました。仮にこれ以上前を振り返るとして、振り返ること出来るのかな、、、かなり怪しいですが、とりあえずこの企画は一旦ストップとさせて頂きます。
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